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装飾の魔術師 ミュシャ ぬり絵にチャレンジ

喜多川歌麿 歌撰恋之部 「深く忍恋」に挑戦

2023/02/18  喜多川歌麿を塗る

むつかしか~ぁ どこが~ 「生え際」が !!!

黒い髪は3回ぬり 肌の色は本来「白」それを「肌色」にしました


『すっきりと大丸髷(おおまるまげ)に結いあげられた黒髪です

黒は他の色に染まらないことから、江戸時代の既婚女性は鉄漿(おはぐろ)をしました

煙管を持つ仕草が女性らしい柔らかさを感じさせます

雲母(きら)と膠を混ぜて煮たものを刷毛で引いた雲母引き 独特の光沢が生まれます

生え際は最も難易度が高い所。江戸時代には専門の職人がいた、彫師の腕の見せ所です』

と解説されていました

本来の絵では「生え際」は本当に繊細な表現がされており 
とうていMUCHAにはできません(あたりまえ~ べたべたに塗りつぶしただけ) 💦💦



また
『すっきりと結い上げた黒髪と、暖かそうな下着と上着、黒襟の際から真っ白なうなじが浮き立つ美人は、垢抜けした風情を醸し出しています。歌麿が得意とした人物をクローズアップして描く大首絵(おおくびえ)の傑作で、女性の美しい肌が和紙の柔らかい風合いを活かしてつくられており、木版の魅力が直に感じられる作品です』
とも記されています


作者:喜多川歌麿
題名:歌撰恋之部 「深く忍恋」
A4上質紙・水彩ペイント+水彩色鉛筆
 ※水彩ペイントは「黒」のみ使用、他の色は水彩色鉛筆を水溶き使用

喜多川歌麿 歌撰恋之部  深く忍恋

喜多川歌麿
浮世絵の黄金期に、美人画絵師として活躍しました。しかし、その生涯については、実はよくわかっていません。 寛政期に入り、評判の町娘や遊里の女性たちを魅力的に描き、浮世絵美人画の第一人者としてその名を知らしめました。 寛政の改革下、様々な表現の制約にも屈することなく、常に新しい表現手段を模索し続けましたが、文化元年(1804)、風紀取締りの処分(一説に入牢3日、手鎖50日の刑)を受け、その二年後にこの世を去りました。
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