装飾の魔術師 ミュシャ ぬり絵にチャレンジ

Lautrec 『ジャンヌ・アヴリル』 "Jane Avril" 1893年

アンリ・マリー・レイモン・ド・トゥールーズ=ロートレック=モンファ(Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec-Monfa 、1864年11月24日 - 1901年9月9日)
フランスの画家でロートレック家は由緒あるフランスで最も古い歴史がある貴族でブルボン王家よりも古い歴史がある家柄。 1878年、14歳の時に椅子から落ち右大腿骨骨折、翌年にも溝に落ち左大腿骨を骨折。 2度の骨折で下半身の成長が止まり、写真をみると西洋人にしては背丈が低い。
1882年、母と共にパリに移り、肖像画や歴史画を画家レオン・ボンナのアトリエで学ぶ、その後は歴史画家のフェルナン・コルモンに学ぶ。
コルモンにより、エミール・ベルナールや10歳年上のヴァン・ゴッホらと知り合う事が出来、大きな影響を受けた。 ロートレックが後に踊り子や女性たちを描くようになったのはドカの影響。 1885年頃にはパリで画家として歩み始めた。
その後ロートレックは、芸術家達のたまり場となっていたモンマルトルが気になるのです。
モンマルトに通うきっかけは、借家の大家がパーティーやキャバレーへ連れ出した事、アパートもアトリエもこの頃にはモンマルトルにあり、キャバレーやナイトクラブに通っては酒を飲み、しゃべり、絵を描くといった生活になる。
ムーランルージュ
毎晩大勢の客が押し寄せ踊ったり酒を飲んだり色恋の場となっていた。 娼婦、踊り子、バンドマン、曲芸師、歌手や道化師などあらゆる人達が集まる一大歓楽施設となったムーランルージュ。 ロートレックもまたこのナイトクラブの馴染み客となっていた。 1891年、ムーラン・ルージュから店のポスターを依願され一躍パリで名声を獲得しました。 Muchaもこの辺ではよく似た処が・・(1895年、舞台女優サラ・ベルナールの芝居のために作成した『ジスモンダ』 (Gismonda) のポスター。 ベルナールが年の瀬に急遽ポスターを発注することにしたが、主だった画家が休暇でパリにおらず、印刷所で働いてたミュシャに飛び込みで依頼したもの。 但し、彼は飲んだくれではなさそうだが)。

Jane Avril 1893年   

Jane Avril


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